伝記
Rudolf Buchbinder is one of the legendary performers of our time. The authority of a career spanning more than 60 years is uniquely combined with esprit and spontaneity in his piano playing. Tradition and innovation, faithfulness and freedom, authenticity and open-mindedness merge in his reading of the great piano literature.
His interpretations of the works of Ludwig van Beethoven in particular are regarded as setting standards. He has performed the 32 piano sonatas in cycles all over the world more than 60 times to date and has continued to develop the history of interpretation of these works over the decades.
With the edition BUCHBINDER:BEETHOVEN, Deutsche Grammophon presents a complete recording of the 32 piano sonatas and the five piano concertos in the run-up to Buchbinder's 75th birthday in December 2021, thus creating a sounding monument to two outstanding Buchbinder-Beethoven cycles of recent times. Buchbinder was the first pianist to play all of Ludwig van Beethoven's piano sonatas within one festival summer at the 2014 Salzburg Festival. The Salzburg cycle was recorded live for DVD (Unitel) and is now also available on nine CDs.
The sensational cycle of Ludwig van Beethoven's five piano concertos came about during the 2019/20 concert season at the Vienna Musikverein. In celebration of its 150th anniversary, the Vienna Musikverein, for the first time in its history, gave a single pianist, Rudolf Buchbinder, the honor of performing all five piano concertos by Ludwig van Beethoven in a specially created series. Buchbinder's partners in this unprecedented constellation were the Leipzig Gewandhaus Orchestra under Gewandhauskapellmeister Andris Nelsons, the Vienna Philharmonic under Riccardo Muti and the Bavarian Radio Symphony Orchestra, the Munich Philharmonic and the Sächsische Staatskapelle Dresden under their principal conductors Mariss Jansons, Valery Gergiev and Christian Thielemann. All concerts were recorded live. The Musikverein cycle, released on three CDs in September 2021 on Deutsche Grammophon, is a historic document of these artistic summits and a tribute to Buchbinder as one of the most profound Beethoven interpreters of our time.
As a contribution to the celebrations marking the 250th anniversary of Ludwig van Beethoven's birth, Rudolf Buchbinder initiated a cycle of new Diabelli Variations. Following the genesis of Beethoven's epochal Diabelli Variations op. 120, Buchbinder succeeded in enlisting eleven leading contemporary composers of different generations and origins - Lera Auerbach, Brett Dean, Toshio Hosokawa, Christian Jost, Brad Lubman, Philippe Manoury, Max Richter, Rodion Schtschedrin, Johannes Maria Staud, Tan Dun and Jörg Widmann - to write their personal variations on the same waltz theme as Beethoven once did. The New Diabelli Variations were commissioned by eleven concert promoters worldwide with the support of the Ernst von Siemens Music Foundation and received their world premiere by Rudolf Buchbinder at the Vienna Musikverein before becoming a part of his touring programs in Europe, Asia and the United States. The project reflects Beethoven's work into the 21st century and impressively underlines the universality of his language across all borders.
Under the title "The Diabelli Project", Deutsche Grammophon released the world premiere recording of the New Diabelli Variations in March 2020 alongside a new reading of Beethoven's Diabelli Variations, which Buchbinder last recorded before in 1976. The double album marked the beginning of his exclusive partnership with Deutsche Grammophon. Also in 2020, a live recording of Beethoven's 1st Piano Concerto with Christian Thielemann and the Berlin Philharmonic followed.
Rudolf Buchbinder is an honorary member of the Vienna Philharmonic Orchestra, the Gesellschaft der Musikfreunde in Wien, the Wiener Konzerthausgesellschaft, the Vienna Symphony Orchestra and the Israel Philharmonic Orchestra. He is the first soloist to be awarded the Golden Badge of Honor by the Staatskapelle Dresden.
Buchbinder attaches great importance to source research. His private collection of sheet music includes 39 different editions of Beethoven's complete piano sonatas as well as an extensive archive of first printings, original editions and copies of the autograph piano parts of both piano concertos by Johannes Brahms.
As Artistic Director, he is responsible for the Grafenegg Festival, which has been one of the most influential orchestral festivals in Europe since its founding 15 years ago.
Rudolf Buchbinder has published an autobiography entitled "Da Capo" as well as the book "My Beethoven - Life with the Master." His latest book, "The Last Waltz," was published to coincide with the premiere of the New Diabelli Variations in March 2020 and tells 33 stories about Beethoven, Diabelli and piano playing.
ポートレート
「最も偉大なピアノ演奏技術の天与の才能」 - ヨアヒム・カイザーによる人物描写
ルドルフ・ブッフビンダーが、-彼はこのことを朗らかに語る-、ミュンヘンのホテル「四季」で一度フリードリヒ・グルダに出会った時、ピアニストとして自身を高く評価した両芸術家の間で全く典型的な会話がなされた。どこに行くかというグルダの問いに、ブッフビンダーはありのままに、「私のベート-ヴェン・サイクルの演奏会に」と答えた。するとグルダは「本当のところ、もうベートーヴェンは退屈じゃないのかい?」それに対してブッフビンダーは、次のようにコメントした。「その質問は私には正直なところ、全く理解できない。私は何度もそのような傑作の中に新しいことを発見するから・・」あまりにも懐疑的な読者は、ブッフビンダーが回顧録の中で何度もこのように発言しているにもかかわらず、これを単なる出まかせの言葉と受け取るかもしれない。「何かの料理に食べ飽きることがあるかもしれない。でも、ピアノ楽書の傑作は、絶対、たとえ、何百回演奏したとしても、「演奏し飽きる」ことはない」と彼は一度語った。感動させるほど理想的にブッフビンダーの告白は聞こえる。「私は、人生の最後にピアニストとしての経歴の最高潮を経験するために努力している。もちろん、それがいつであるかわからないけれど・・本当は残念なことだ! なぜって、私の職業の中では本当には決して何かに達することはできないから。いつもまだそれ以上の向上があるから。」
ブッフビンダーを長い間、近くにいて知っている者は、これらの確言すべてが純粋な誠実さであることをよく承知している。私は私の友人「ルディ」と長年、彼のベートーヴェン・サイクルの司会をしてきた。シュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭で、ドルトムント/ボーフムで、ニュルンベルクで・・つまり、私はそれぞれのソナタを最初に分析し、彼にその際種々の引用を頼んだ。そして、その後でやっと彼は作品をその関連で披露した。こうして私は実際に、それらのソナタがブッフビンダーの魂の中で絶えず発展し続け、豊かになり、変化してきたことをごく身近に経験した。ピアノ演奏技術上のことに関して、手の動きに関してはそれほど経験していない、いややはりそれも経験した。しかしそれは、深さと内容の濃さに関してである。私がその際彼にどんなことを要求しているかは、私自身、十分にはっきりしていなかった。一度、「ハンマークラヴィーアソナタ」作品106に関するとき、私は50分近くも話をした。彼はしかし、その間、落ち着いて夢見ながらただそこに座っていることは許されず、いつも緊張して注意していなければならなかった。絶えず彼は引用を出すことを請われたし、そしてこの骨の折れる談話の後で、やっと、ピアノ楽書の最も困難であろうソナタを完全に演奏しなければならなかったからである。
演奏家には、作曲された作品に乱暴しないで、「単に」作品に忠実に、活気を与えること以外何も念頭に浮かんでいない場合ですら、なぜ偉大な音楽は演奏家を一生涯とりこにすることができるのか。この問いに、次のように答えることができる。重要なクラシック音楽では、芸術的才能のない現代人はほとんど感づくこともできない、ニュアンスをつけた、情緒的な形、表現、経験と洞察の豊かさが隠されている。そのような音楽は、感情的な経験の無限の宝庫に似ている! それは私たちに、ますます繊細な、細分化した、差別化されたものを知覚することを教える。メンデルスゾーンが一度、確言したことは正しい。音楽とは概念のない、漠然としたものではなく、国語は具体的で明確である。そうではなくて、音の中に、これらすべてのニュアンスを名づける言葉が存在する以上にもっと無限に多くの、形作られた感情の中間段階があるという。そして、偉大なピアニストはそれにとりかかる。
伝統的な芸術と「クラシックモダン」の作品から課されるこの課題を今果たすために、ルドルフ・ブッフビンダーのいくつかの注目すべき芸術家としての、そして人間としての特殊性が役に立つ。まず彼は、私にとってこれまでの人生の中で出会った最も偉大なピアノ演奏技術の天与の才能者である。彼は決して指使いを書きとめる必要がなく、最も慎重な配慮を要する難易な部分ですら、実際しない。指が自然にその場所へ動く。うらやむべきことに、彼はそれを固く信頼することができる。彼はこう言う。「3種類の指使いがある。学ぶことができるもの、同僚に推奨するもの、そして演奏会のときにとっさに捕らえるものである。」「とっさに捕らえる」という動詞は驚くべきことに、どのように自然にブッフビンダーの天与の才能が機能するかを明かしている。このような才能があると、誘惑されて、軽薄になってしまうかもしれない。しかし、彼にとってそうなるには、作品は神聖すぎ、愛しすぎる。ここに彼の2番目の特殊性がある。尊敬の念に満ち、非常に正確さにこだわって、ブッフビンダーは原典の出版を研究し、間違いがないかを探し、間違いを見つけると、どんなものも当然の事実であるとみなさない。彼のもしかしたら最も重要な、しかし決して最も華々しいものではない3番目の特性は、彼が全くどんなマンネリズムにも陥っていないことである。彼の演奏で、何らかの「流儀」、芸術家の個性を作品の前に押しやる、助けになる何らかの気まぐれや、またトリックも確認することは不可能に近い。彼が表情豊かな心からの音でモーツァルトの協奏曲を弾きこなすとき、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ト長調アンダンテの中でドラマチックな対話をするときに、心を打つほど苦しいピアノの応答をおずおずと100分の1秒ほど遅れて差し出すように見えるとき、-その中にそんなにも多くの胸苦しさと不安と痛みが隠されているが‐、彼が解釈しながらすることは、いつもすべてその時の実態から生まれ出る。あらゆるマンネリズムから解放された、彼の根本的な音楽を愛する音楽性のため、彼は多くの同僚の繊細な、あるいは粗野な誇張に対し敏感である。スヴャトスラフ・リヒテルがかつて、シューベルトの偉大なピアノソナタ 変ロ長調をばかげたほど強調してゆっくりと演奏して以来、今ではもう、シューベルトの悲しいアンダンテの楽章をその沈鬱さを明瞭にするために、アダージョとして、それどころかラルゴとして強引に演奏することがほとんど流行にまでなっている。しかしピアノ演奏技術のアダージョの大御所たちは、それによって彼らがどれくらいシューベルトの独特の真実からはずれているかを認識していない。彼の場合、意気消沈したアンダンテのゆっくりした歩みがあるからである。それは決してどっしりしたアダージョの重い葬送行進曲ではない。決して荘重ぶったラルゴであってはならない。そして彼の漂う絶望の中で、ぴったり合わせるのがとてつもなく難しい。そのような意気消沈したゆっくりした歩みのオーラの中で、「冬の旅」の最初の歌が、「ザ・グレート」交響曲ハ長調の第2楽章(„Andante con moto“ = 動きをもったアンダンテ)が、「ザ・グレート」ピアノソナタ イ長調D 959や同じく神秘的なの変ロ長調ソナタD 960の真ん中の楽章がおもむろに始まらなければならない。シューベルトが明らかに意識的にベートーヴェンをほのめかしている、ハ短調ソナタD 958のゆっくりした楽章だけがタイプによると、若きベートーヴェンが好んで作曲したように、実際にあの変イ長調アダージョの一つである。
ブッフビンダーの注目すべき特殊性を数え上げるとき、私は、-もしかしたら最も珍しい‐ものを忘れた。それは彼の完全な虚栄心のなさである。彼は自分をそう「強いる」必要はない。それは好感を懇願するつつましさのポーズではない。それは彼の持前である。儀式ばった高慢さ、やみくもな重要さの気取りは彼の性に合わず、彼に嫌悪を催させる。客観的に、愛想よく彼は答える。確かに彼は、現代の娯楽音楽、ポップミュージックと伝統的な真面目な音楽を同じ形の娯楽として比較することが本当に当を得ているかどうかという議論は喜んで応じるだろう。もちろん、魅力的な娯楽音楽と死ぬほど退屈な交響楽があり得る。しかしそれぞれの質あるいは弱点は互いに関係がない。偉大な伝統的な音楽は、何百年もの間に分化した、真面目な音楽言語の比類ない歴史を含有している。バッハのミサ曲 ロ短調はその内部に非常に大きな教会音楽の歴史を保っており、ベート-ヴェンのピアノソナタ、作品110は叙唱と「ヨハネ受難曲」のアリオーソによって、ずっと昔までさかのぼり、ワーグナーの「マイスタージンガー」と彼の「パルジファル」もそうである。どんなに成功したきわめて効果的な映画音楽の発表であろうと、あるいはポピュラーソングの制作であろうと、その質は全く異なっている。そうではないだろうか。私は喜んでブッフビンダーの意見について議論したいと思う。バッハをスタインウェイの上で弾く者は決して、現代のピアノの上で歴史的な演奏をしてみたいと思うべきではない。
最後の問い:自分の演奏の録音を、それが自分から離れてしまった後、もう全く聞くことができない、聞きたくないというブッフビンダーのしりごみの後ろには、いったい何が隠されているのだろうか。ほとんど超人的な虚栄心のなさに関するのだろうか。あるいは、それどころか、自分の奔放に流れる芸術を録音の中で聞いてしまうと、もう直感的に演奏できなくなってしまうかもしれないことを恐れているのだろうか。
ヨアヒム・カイザー(2004年)